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静岡地方裁判所 昭和43年(行ウ)20号 判決

清水市志茂町六八番地

原告

平岡清

右訴訟代理人弁護士

戸塚敬造

清水市江尻大和町一番地

被告

清水税務署長

滝川哲男

右指定代理人

篠原一幸

堀井善吉

佐藤弘二

長沢甲子夫

井原光雄

蒲谷暲

右当事者間の贈与税及び無申告加算税賦課決定処分取消請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告が原告に対し昭和四二年二月一五日付でした贈与税及びその無申告加算税の賦課処分中、名古屋国税局長が昭和四三年八月一五日付裁決により取消した部分を除くその余の部分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

主文同旨の判決。

第二請求の趣旨に対する答弁

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決。

第三請求の原因

一、被告は原告が昭和三八年二月二六日に別紙物件目録記載の不動産(以下本件土地という)を、訴外平岡忠より贈与されたとして、原告に対し昭和四二年二月一五日、課税価格五、七三五、〇三七円、贈与税額二、三四四、二五〇円とする贈与税及びこれに対する無申告加算税額二三四、四〇〇円を賦課する旨の決定処分(以下本件処分という)をした。

原告は同年三月一四日被告に対し本件処分につき異議申立をし、被告は同年六月一三日、これを棄却する旨の決定をした。

そこで原告は同年七月一〇日、名古屋国税局長に対し、本件処分について審査請求をしたところ、名古屋国税局長は昭和四三年八月一五日、本件処分の一部を取消したうえ、原告の納付すべき贈与税額を二、二二七、一〇〇円及びこれに対する無申告加算税額二二二、七〇〇円とする旨の裁決をした。

二、しかしながら本件処分は次のような理由により違法である。

(一)  原告は昭和 八年九月一二日、訴外平岡粂次郎、同きんの長女喜みと婚姻し、かつ同日粂次郎夫婦と婿養子縁組を結び、同家に入籍し、以来養親と同居して婦人子供服の製造販売業を営んできた。

(二)  当時粂次郎夫婦間には実子忠があつたが、幼少であつたので将来を慮り、原告を婿養子として迎えるに当り、原告に実子忠の養育を委託するとともに、その代償として本件土地を含む財産一切を原告に譲る旨の約束をした。

そして粂次郎は右約旨に従い、昭和一〇年一〇月一日付で、本件土地を含む全所有財産を、同人の死亡を条件として、原告に贈与する旨の死因贈与をした。

(三)  粂次郎は昭和一二年五月二日死亡したので、これと同時に贈与の効力が生じ、本件土地は原告の所有となつた。

(四)  もつとも本件土地は粂次郎の死後も久しく同人名義のままとされていたものであり、昭和三七年五月三一日付で、昭和一二年五月二日家督相続を原因とする、粂次郎から忠への所有権移転登記がなされ、更に昭和三八年二月二六日付で、昭和一二年五月二日贈与を原因とする、忠から原告への所有権移転登記がなされているが、これは原告が昭和三七年中、本件土地を担保として金融機関から融資を受けるにあたり、その所有名義人を亡粂次郎から原告に改める必要上、登記手続上の便法として一旦平岡忠が家督相続により本件土地を承継取得し、更に原告に贈与したという形式をとつたにすぎず、真実の権利移転の過程とは一致していない。

三、よつて原告が昭和三八年中に本件土地の贈与を受けたことを前提としてなされた本件処分は違法であり、当然取消されるべきものであるから既に裁決によつて取消された部分を除く、その余の部分を取消すとの判決を求め本訴に及んだ。

第四被告の答弁及び主張

一、請求原因に対する認否

請求原因一の事実は認める。

同二の(一)の事実全部、(二)の事実中忠が粂次郎夫婦間の実子であること、粂次郎夫婦が原告と縁組をするに当り、原告に忠の養育を委託したこと、昭和一〇年当時本件土地が粂次郎の所有であつたこと(粂次郎は本件土地を昭和九年二月二八日、訴外田本喜三次から買受けたものである)、(三)の事実中粂次郎が原告主張の日に死亡したこと、(四)の事実中本件土地につき原告主張のような登記が順次なされていることは、いずれも認めるがその余は否認する。

二、本件処分の理由

(一)  本件土地は粂次郎の家督相続人平岡忠が粂次郎の死亡による家督相続に伴い、その所有権を取得したものであるが、原告は自認する如く昭和三八年二月二六日本件土地につき、右忠から粂次郎の死亡の日である昭和一二年五月二日付で贈与を受けたとして、これを原因とする忠から原告への所有権移転登記手続をした。

しかしながら、忠は昭和四年一二月二日生まれで、右贈与がなされたという当時は、満七年五月の未成年者であつて、当時その法定代理人は親権者母平岡ぎんである。親権を行う母は未成年の子の財産を管理するのであるが、右管理行為として無条件で不動産を第三者に贈与することは無効であり、仮に財産管理方法として許されるとしても親族会の同意を要するものであるが、そういう同意を得た形跡も見当らない。

従つて本件土地が昭和一二年五月二日に忠から原告に贈与されたと認めるべきではなく、実質上の利益が納税者に帰属した段階で課税する実質課税の原則により、登記申請がなされた昭和三八年二月二六日に贈与がなされたと認めるべきで被告はそういう認定にもとづいて本件処分をしたのである。

(二)  原告は、昭和一〇年一〇月一日付で粂次郎が本件土地を原告に死因贈与した旨主張し、証拠として粂次郎作成名義の遺言証書と題する書面(甲第五号証)を提出している。しかしながら右書面の形式から見て死因贈与契約をした趣旨とは認めがたく、むしろ、これに何らかの法律上の効力があるとすれば、遺贈と認むべきものである。被告は右書面が真正に成立したものか否か、また遺言書として法定の方式を備えたものか否かを知らないが、仮にこれが真正適法な遺言書であるとしても、裁判所の検認手続も経ていないし、しかも原告自身右書面に立会人として名を連ねているのであるから、右書面が存在することを知つていたはずなのに、昭和三八年に至るまで遺言書にもとづく権利を行使した形跡は全くない。従つて仮に原告が右遺言によつて本件土地の遺贈を受けたとしても、長年の権利不行使によつて遺贈を放棄したものとみるべきである(死因贈与契約であつたとしても同じである)。

そして粂次郎の死後二五年を経た昭和三八年に至つて、はじめて本件土地について贈与による所有権移転登記がなされたこと、しかも相続人である忠は二分の一の遺留分減殺請求権を有するにもかかわらず、全部について原告に所有権移転登記手続をしたことを考慮すれば、右登記の段階において、本件土地が忠から原告に、実質的確定的に贈与されたものとみるべきである。

三、本件土地の贈与財産価額について

本件土地は原告が昭和二一年一月以降原告の所有する家屋(昭和二一年一月新築)の敷地として使用していたのであるが、その使用関係は、賃貸借ではなく使用貸借であると認められるため、右家屋の所有者である原告に実定法上本件土地の借地権は認められず、従つて自用地(いわゆる更地)としての価額をもつて、本件土地の贈与財産価額とする余地もあつたが、被告は前述のとおり原告が本件土地上に家屋を所有使用している事実を考慮して、特に本件土地を他の貸宅地と同様に取扱うこととして、本件土地の贈与財産価額を計算したものである。すなわち借地権割合を五〇パーセントとし、本件土地の自用地としての価額一一、〇四五、二四八円の五〇パーセントに当る五、五二二、六二四円をもつて、本件土地の贈与財産価額としたのである。

第五証拠

一、原告

甲第一ないし三号証、第四号証の一、二、第五、六号証を提出し、証人小沢勉治、同平岡長三郎、同吉田亮作、同平岡忠の各証言および原告本人尋問の結果を援用し、乙第三ないし一〇号証、第一一号証の一、二の成立を認め、乙第一、二号証の成立は知らないと答えた。

二、被告

乙第一ないし一〇号証、第一一号証の一、二を提出し、証人鈴木庄二の証言を援用し、甲第一ないし三号証、第四号証の一、二、第六号証の成立および第一号証の原本の存在を認め、甲第五号証の成立は知らないと答えた。

理由

一、請求原因一の事実、同二の(一)の事実および本件土地が昭和一〇年当時平岡粂次郎の所有であつたこと、粂次郎が原告主張の日に死亡したこと、本件土地につき原告主張のような登記が順次なされていることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、原告主張の死因贈与の事実の存否について。

(一)  成立に争いのない甲第三号証、第四号証の一、二、証人小沢勉治、同平岡長三郎の各証言および原告本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第五号証、証人小沢勉治、同平岡長三郎、同吉田亮作、同平岡忠の各証言、原告本人尋問の結果を総合すれば、平岡粂次郎(明治一九年生)は原告を婿養子として迎えるに当り、実子である三男忠(昭和四年一二月二日生、なお長男二男は幼児のとき死亡した。)が幼少なので、原告との間に粂次郎の死後、同人所有の不動産一切を原告に譲り、その代り忠の養育を原告に託することを約したこと、粂次郎は右約旨にしたがい昭和一〇年一〇月一日、粂次郎の妻ぎん、長女(原告の妻)喜み、ぎんの弟平岡松太郎、同平岡長三郎、養子縁組の媒酌人小沢勉治、原告の実父吉田久吉、原告の義兄二条好唯および原告本人の立会の上で、「(一)粂次郎所有の不動産を原告に相続させること、(二)原告は忠の後見人として、その養育に当るべきこと」を記載した「遺言証書」と題する書面(甲第五号証)を作成し、自らこれに署名捺印したのち、原告本人を含む前記立会人ら全員に連署させた(但し吉田久吉は息子亮作の名で)こと、本件土地は粂次郎が昭和九年二月(原告を養子にした後)他より買受け、その地上建物と共に粂次郎所有不動産中の主要なもので、昭和一〇年一〇月当時原告夫婦はそこで婦人服の仕立販売等を営んでいて、そのことは今日まで続いていること、忠は粂次郎死亡後原告夫婦に養育され大学教育も受けさせてもらい、本件土地が原告の所有であることに異存がないこと、以上の事実を認めることができる。証人鈴木庄二の証言により成立が認められる乙第一、二号証の各記載および右鈴木証言中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照し、信用できない。

(二)  右事実によれば、右甲第五号証が作成されたときに、粂次郎と原告との間で、本件土地につき、粂次郎の死亡により効力を生ずべき死因贈与契約が成立したものとみることができ、したがつて本件土地は、その後昭和一二年五月二日に粂次郎が死亡したことにより忠によつて家督相続せられることなく、ただちに原告の所有に帰したというべきである。

被告はもし右遺言証書が有効なものとすれば、死因贈与よりもむしろ、遺贈と解すべきであると主張するが、甲第五号証の遺言証書は遺言の一般方式によつてなされていないので遺言としては効力がなく、したがつて遺贈と解することもできない。しかし甲第五号証に粂次郎と原告とがそれぞれ署名押印していること等前認定の事実から甲第五号証をもつて前記死因贈与契約の書面として効力があると解するわけである。

さらに被告は、原告が昭和三八年まで右遺言証書にもとづく権利を行使しなかつたから死因贈与による権利を放棄したものであるというが、原告は前認定のとおり本件土地を粂次郎死亡以来引続き占有使用してきたのであつて、たんに所有権移転登記がなされなかつたのにすぎないから、他に被告の主張を認めるに足りる特段の事情のない本件において、原告が本件土地に関する権利を放棄したものということはできない。

(三)  もつとも登記面上は原告が自認するとおりの経過で一旦忠が家督相続を原因とする所有権移転登記を経由したのちに、忠から原告へ贈与を原因とする移転登記がなされていることは、当事者間に争いがないが、原告本人尋問の結果によれば、原告は前記認定のとおり粂次郎の死後引続き本件土地を自己の店舗敷地として使用していたが、登記名義は粂次郎所有のままにしていたところ、ようやく昭和三七年に至つて銀行融資を受けるために、本件土地の所有権移転登記を受ける必要に迫られ、そのころ前記甲第五号証が手元に見当らなかつたことや司法書士の助言もあつたりして、便宜上一旦忠への移転登記をし、改めて忠から原告への移転登記をしたものであることが認められるので、登記面上の権利移転の経過は実体をそのままあらわしたものとは言えない。

三、結局以上の認定によれば、原告が本件土地を取得したのは昭和三八年二月二六日であるという被告の主張は理由がなく、したがつてこれを前提としてなされた本件処分は、違法として取消を免れない。

よつて原告の請求を認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上東作 裁判官 山田真也 裁判官 三上英昭)

物件目録

清水市志茂町六八番

一、宅地 三二五・八一平方メートル(九八坪五合六勺)

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